■13:24
さて、何から話せば良いだろうか?
特に何事も起きていなかった。
何時ものようにあの男はやって来たんだ。
このマンハッタン、いや、もうアメリカ中でもかなり有名な部類に入る商社に勤める男。
年は30代前半、身長は私より高く、痩せた男。
名前は忘れたが、恐らく彼はドイツ系だろうな。
なに、ただそんな気がするだけさ。
昼にはいつもこの店で昼食を取る。
店員がコーヒーとサンドイッチを届けに行くと例外なくテーブルに伏せているんだ。
可笑しいだろう?
彼には職場には友人がいないような気がするんだ。
最近は自分以外の人間と昼食を取ることは年に2〜3回、
それも本人はあまり乗り気ではない様子でね。
その2〜3回の食事において、彼が口を開いたのはたった2回。私の知る限りではね。
話題はいつも決まって上司の悪口さ。
彼はその商社においてはかなり嫌われているらしい。
この店に来るようになってから4年か……
話を聞くと、彼が入社して2年と4ヶ月の頃に彼は偶然社長の……不倫を目撃してしまったそうだ。
社長も彼に見られていたことを知っていたらしい。
運の悪いことに、不倫の一件の前に彼は社長の家に夕食に招かれていたそうでね、
……まだ彼が今のような疲れ切った姿を見せるようになる前の事さ。
業績もよく、比較的人当たりも良かった頃の事。
当時の彼は同僚にも上司にもかなり気に入られていたそうだ。
店に同僚と一緒に来る事もあったよ。
まぁ、その時にはすでに社長に顔も名前も知られていたって事だ。
ところが、その不倫を目撃してから状況は変わってしまった。
社長が突如彼の降格を命じたんだ。
その理由がまたおかしなものでね、「私の妻と不倫した」だってさ。
悪いのは全部社長の方なんだぞ?
気が付いた頃にはその噂は社内を駆け巡り、もう彼と食事をしようとする人間もほとんどいなくなった。
その頃には彼も他人との接触を避けようとしていた。
社長の不倫を公表しても、きっと自分の身が危うくなるだけだと悟ったんだろうな。
悲しいものさ。 社長の怒りに触れてしまったおかげで彼は社内で息をする事すら難しくなった。
なまじ社長の権力が強いおかげで、社員が痛みを受ける。
もはやこの会社の社長は神にも等しい力を持っている。 彼は社長に神を見ただろうね。
逆らう事も許されない。
いや、彼は逆らってなどいないのに。
おっと、事件の事だったね。
本当は彼はあまり関わってはいないんだ。
彼が昼食を食べ終えると、彼はすぐに店を出たよ。
その時だったね。
彼の目の前を大きな車が通り過ぎた。
もちろん彼は歩道にいた……車は歩道に乗り上げ、気付いたら……私の店の窓を粉々に吹き飛ばしてくれたよ。
客の何人かはガラスを被って、店内からは悲鳴が聞こえていたね。
車はそのまま壁に激突して止まったが、車の正面は完全に潰れていた。
運転手と助手席の女は……そうか。
彼は目の前を通り過ぎた車の末路を見届けると、今度は車に近づいていったんだ。
私は店内から彼の様子を見ていたが、後部座席の男を見た時には驚いたね。
社長さ。 彼の会社の社長が乗っていたんだ。
顔は知っていた。仮にも大会社の社長さ。時々TVでも見るし、新聞にもよく顔が載ってる。
……何を珍しそうに見ているんだ? 私だって新聞ぐらい読むさ。
黒人だからって馬鹿にしてもらっちゃ困るね。
私には何が起こるか想像が付かなかった。
彼が最も嫌い、正面からでは勝てない人間である社長と、
社長が最も嫌い、権力で陥れた彼が、
出逢った瞬間に何が起こるのか。
気付いたときには私も車の傍にいた。
そして、その時は来た。
彼が後部座席の窓から社長の顔を見つけたんだ。
社長は頭から血を流して、放って置けば確実に命は無かっただろうね。
そのうち、社長も彼の姿を見つけて、「助けて……頼む……助けてくれ……」
皮肉なもんだよ。 自分が敵に回した人間に助けを求めてる。
不謹慎だが……笑ってしまいそうになったよ。
そして彼は……笑っていた。
そうだろう? 今まで自分が敵わなかった相手が、今にも死にそうにしている。
生かすも殺すも自分次第。
そして彼には殺す理由はあっても生かしておく理由はない。
彼は最後に社長にこう言った。
「あんたが嫌いだ。」
その瞬間、社長は一気に表情を変えたんだ。
誰が見ても分かるほどに、絶望的な表情にね。
彼は一言言い残すと、助けを呼ぶ事もなく立ち去っていったよ……。
それが13:24の事さ。
刑事さん、あんたは運が良かったよ。
私が他人の人生に興味を持つ人間じゃなかったらこんな話は聞けなかっただろうしね。
End